「すべき思考」に陥る理由は完璧さを求める心。完璧主義が人に「すべき思考」をさせる
すべき思考
「○○をしなければいけない」
「××をしなければいけない」
しなければならないことを考えることをすべき思考といいます。
すべき思考はストレスのもとです。
なぜストレスになるのか?
なぜすべき思考を人はしてしまうのか?
それについて語りたいと思います。
「すべき思考」に陥る理由は完璧さを求める心
完璧主義の人は何事も完璧にしようとします。
完璧に物事を達成するためには「○○をしなければならない」「××をしなければならない」「△△をしなければならない」としなければならないことを考えてしまいます。
しなければならないことを考える=すべき思考です。
完璧主義の人は必然的に「すべき思考」に陥ってしまうんです。
完璧に物事を遂行するために「すべき思考」に陥ってしまうんです。
完璧主義者は計画にも完璧を求める
完璧主義者は計画にも完璧を求めてしまいます。
完璧に物事を遂行するためには、完璧な計画が必要と思っているからです。
完璧な計画を練っているときにも「ここは○○すべきではないか」「ここは××すべきではないか」とすべき思考をしてしまいます。
完璧主義の人はあらゆる場面で『すべき思考』をしてしまうのです。
完璧な人生を送る
それが完璧主義者の理想だからです。
だから「すべき思考」をしてしまうのです。
完璧な人生を送るために。
完璧主義であればあるほどその理想に固執し、完璧さを求めます。
でも、残念ながらその理想が成就することはありません。
人は不完全な生き物だからです。
不完全な生き物である人間が完璧な人生を送ることなど不可能です。
だから完璧な人生を送るという完璧主義者の理想が成就することはないのです。
それなのに完璧主義者の人は完璧な人生を追い求めてしまう。理想を達成したいという願望が叶うことなどないのに。
叶うことのない願望を追い求めればどうなるかわかりますよね。失望が多くなります。
失望はストレスです。
つまり完璧主義の人は失望とストレスが多い人生を送るということなのです。
さらに完璧主義の人は「すべき思考」の頻度が高い。これもストレスになります。
すべき思考は自分を束縛する行為だからです。
「○○しなければならない」「××しなければならない」と自分をしなければならないこと課す。
それは義務やルールで自分を束縛する行為です。すべきことで自分を束縛する行為です。
束縛はストレスのもとです。
失望することによるストレス。束縛によるストレス。
完璧主義の人はこの2つのストレスに苛まれます。
完璧主義の程度が酷い人ほどこの2つのストレスに苛まれる頻度が高くなります。
完璧主義のピアニストの話
あるピアニストは、完璧な演奏を求めていた。求め続けていた。
毎日のように演奏の練習をしていた。
練習のたびに「ここはこう弾くべきだ」とすべき思考をする。その思考通りに演奏しようとする。
でもその思考通りに演奏できない。
それがストレスになる。何度練習してもその思考通りに演奏できない。そのたびにストレスを感じる。ストレスがどんどん溜まっていく。
演奏会で演奏したあとも「あそこは○○な弾き方をすべきだった」と反省する。その反省通りに弾けるよう練習する。
でも反省通りに弾けない。何度弾いても「○○な弾き方をすべきだった」という反省通りに弾けない。ストレスが溜まっていく。どんどんどんどん溜まっていく。
ピアニストはカッとなって鍵盤を両手で叩いた。不協和音が鳴り響く。
ピアニストはカッとなることが多くなった。そのせいで鍵盤に怒りをぶつけることが多くなった。
ピアニストは演奏家をやめるまで鍵盤に怒りをぶつけることをやめることができなかった。
完璧主義の人はこのピアニストのようにストレスの多い人生を送ることになります。
完璧を目指すことは必要なことです。何かを極めるには完璧さを求める姿勢は必要です。
でも、過剰な完璧主義はストレス過多の人生になってしまいます。
それは事実です。
不安感をなくすために完璧さを求める男性
ある男性は災害が起こるのではないかという不安が強かった。その男性は防災グッズを買いまくった。何百万円というお金を防災グッズを買うために使った。
この男性の中には臆病さがあります。その臆病さが不安を抱かせ、防災グッズを大量の買わせたのです。
もし、この男性が臆病でなかったら、不安も抱かず、当然、防災グッズを大量に買うこともなかったはずです。
でも、この男性は臆病だった。臆病だったから不安を感じ、防災グッズを大量に買ってしまった。
「あれを買うべきだ」「これも買うべきだ」とすべき思考に陥り、防犯グッズを買ってしまった。
この男性の中には不安感を完璧に解消したいという願望があります。
防犯グッズを大量に買うのはその願望を叶えるためです。
こういう人は「すべき思考」に陥りやすい。
「○○すれば安心できる。○○をすべきだ」「××すれば安心できる。××をすべきだ」「△△を購入すれば安心できる。△△を購入すべきだ」
とすべき思考をしてしまう。不安を解消するためにすべき思考をしてしまう。不安を感じるたびにすべき思考をしてしまう。
そのためすべき思考に陥りやすいんです。
他人に馬鹿にされないために完璧さを求める学生
馬鹿にされるのは、誰だって嫌です。
でも、どんな生き方をしていても馬鹿にされるときは馬鹿にされます。
だから普通の人はある程度馬鹿にされるのは仕方ないと思っています。
でも完璧主義の人は違います。
完璧主義の人はちょっと馬鹿にされることも許ることができません。
完璧に馬鹿にされない人生を求めているからです。
先に述べたとおり完璧に生きることなど不可能です。
実現不可能な理想を追い求める人生はストレスが多くなります。
すべき思考も多くなることもストレスが多くなる原因のひとつです。
「○○をしないと馬鹿にされる」「××しないと馬鹿にされる」とすべき思考をしてしまう。馬鹿にされたくないという願望が強いほどにすべき思考の回数も増えていく。
そのせいでストレスが多くなるんです。
都内某所の高校に通うA君。
A君は完璧主義者です。自分でも完璧主義者だと思うくらいの完璧主義者です。
A君は少しからかわれただけでも怒ります。
だからA君は馬鹿にされないために努力を怠りません。
「○○しないと馬鹿にされる」「××しないと笑われる」「アイツに負けたら見下される」「△△したら軽蔑される」と考える。考えて馬鹿にされない努力をする。笑われない努力をする。軽蔑されない努力をする。
毎日、それの繰り返し。
「○○しないと馬鹿にされる」と考えては努力する。「△△しないと軽蔑される」と考えて努力をする。
そんな努力の繰り返しの毎日。「○○しないと」「△△しないと」というすべき思考の繰り返しの毎日。
そんな生き方をやめたいとA君は思っている。でもやめられない。
なぜやめられないのか?
それはA君が完璧主義者だからです。完璧を求める心があるためやめられないんです。完璧に馬鹿にされない人生を求めているからやめられないんです。
完璧主義は習慣によって形成されたものです。習慣的に完璧を求める行為を続けてきたから癖のように完璧を求めてしまうようになってしまったんです。
でも習慣は努力しだいで改善することができます。
少しずつ完璧を求める行動の回数を減らしていく。すべき思考の回数を減らしていく。
喫煙者がタバコの本数を少しずつ減らして禁煙を目指すみたいに、すべき思考や完璧を求める行動を減らして脱過剰完璧主義を目指す。
そんな努力を繰り返していればいずれ脱過剰完璧主義は実現できると思います。
おわり